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思い出の“チル”
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思い出の“チル”

 
 

“チル”は近所でウロウロしていた犬、誰の家で飼われていたのかもわからない犬でした。
田舎の小さな街、私の幼い頃はまだ野良犬が呑気に町の中を歩いていたし、飼い犬は繋ぎっぱなしの家が多く、放し飼いというか、ほったらかしのような飼い方をしているお宅もありました。「どんな昔だよ!」とツッコミを入れられそうですが、まあまあ昔の話です。

それほど汚れていなかったところを見ても、“チル”は何処かの家で飼われている犬に違いなく、全体的に黒が多い毛はフサフサと豊かで、明らかに洋犬が混じった雑種の犬でした。名前もみんながそう呼んでいただけで、本当の名前だったのかどうかも定かではありません。なにしろ“チル”に出会った当初は6〜7歳、「いつもあっちのほうから来る犬」ぐらいの認識しか無かったのです。

“チル”は2〜3日おきにふらっと現れて、私を含めた子どもたちとひとしきり遊び、またふらっといなくなる、不思議な犬でした。
私は“チル”が現れると学校の校庭や空き地で思いっきり走ったり、小高い丘の上で夕日を眺めたりして、家に帰るのも嫌なほど“チル”と一緒に遊ぶのが大好きでした。
出合ってから数年、そんなふうに遊ぶうちに私は“チル”を自分の犬であるかのように可愛がり、また“チル”もよくなついてくれました。
友達が私に近づこうとすると、「僕の遊び相手を取らないで」とでも言いたげに、私のまわりをグルグルと回ってヤキモチを焼いたり、私が落ち込んでいるようなときは静かに寄り添ってくれる、とても優しい犬だったのです。
“チル”の体に陽が当たると、柔らかくて黒い毛が艶々と輝いて美しく、賢そうな目が印象的な横顔は、動物が大好きだった私の心を捉えて離しませんでした。そして、何よりも“チル”は私にとって楽しい時や悲しい時を共有できる特別な犬だったのです。

暗くなるまで遊んだ後、仕方なく「バイバ〜イ」と言うと“あっちのほう”に帰って行く“チル”、子ども心に「本当の飼い主の元に帰っていくんだね」と思うと、楽しく遊んだ日ほど、なんとも言えない淋しさを家に持ち帰らなければなりませんでした。
そんな“チル”が、ある日を境にぱったりと現れなくなってしまい・・・・。だいぶ経ってから「死んだらしいよ」と近所のおじさんかおばさんに聞いたのです。
そのときのショックは、言葉では言い表せないものでした。
しかし、子どもだったからなのか、死んだ姿を見ていない私には全く現実味が無く、「やあ、久しぶりだね」という顔で、ふらっと姿を現しそうな気がして、その後何年も“チル”が駆け寄ってきた“あっちのほう”を目で追ってしまうのでした。

私にとって、“チル”は今でも特別な犬です。

 
 

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